はい、くるくるばっち。(@kurukurubatch) です!
ここでは、私が第一子を授かってから今に至るまでの子育てについてのお話しです。
私は高校中退者のまま18歳で結婚、そして19歳で妊娠しました。
私にとっては、この年齢での妊娠は衝撃的な出来事でした。
赤ちゃんがいる暮らしを望んでいた時があったとしても「今」「このタイミング」 ではなかった…というのが正直な気持ちでした。
ちょうど、将来の職に対してそろそろ真剣に考えようとしていた時期でもありました。
妊娠発覚してからこの年齢ならではの悩みも含め色々と考えました。
(みんなに置いていかれる・・・)
(みんな自分の夢に向かってやりたいことやるんだろうな・・・大学、就職と・・・)
(身近に子育てしている友達がいるわけでもないし、親も近くにいるわけでもない・・・)
(わたし一体何がしたいんだろう・・・)
っと、まぁ〜ネガティブオーラー全開でした。
当時の旦那さんに相談すると産むことに賛成していましたが、私はというと…どっちもどっち…でした。
出産か、中絶か・・・
二つに一つ。
結局決めるのは自分。
その後の人生を生きるのも自分。
これを何度も何度も自問自答し続けていました。
(どうする・・・? なにがしたい・・・?)
答えが見つからないままある日病院へ行きました。
検査を終えると先生から「おめでとうございます。妊娠してます。」というよくある定番なお言葉でした。
(全くめでたくもない・・・)
と思いつつも、先生に言おうか言わないかギリギリまでに悩み、100%の答えが見つからないままとっさにでた言葉が・・・
「すみません‥おろすことも考えています。」
すると先生は言いました。
「おろすということは簡単じゃないんだよ。授かった命の重さを今一度よく考えてまた来てください。」
という重くて思いあるお言葉でした。
その言葉を聞いて心が痛みました。
そして、病院を出た後泣きながら帰ったのを今でも覚えています。
自分でも分かりきっていた言葉をそのまま先生に言われたことでなんともいえない感情に駆られていました。
(いわれなくても命の重みは分かってる。)
(簡単に命を扱えるなら即答でおろす選択をしている。)
(でも簡単に出来ないからこーして今でも悩んでる。)
(なんであんな言い方されなきゃいけないの?)
(かといって、誰のせいでもない。自分が起こしたこと。)
(だったらきちんと向き合って責任とりなよ)
と、現実逃避していた自分に悔のない答えを自ら引き出そうとしていました。
寝ても覚めても赤ちゃんのことばかり考える日々が続きましたが、本当ははなから答えは分かっていました。
選択肢はない。
答えはただひとつ・・・
私はこの子を殺すことは出来ない・・・
なのに、この先の不安だけを理由にこの答えを受け入れたくない自分がいました。
(夢であれ・・・)と。
その一方で、この子の命を選択出来るほど私は神でもなければ立派な人間でもないことも自覚していました。
今私に出来ること・・・
それは・・・
この命を守ること。
かといって、自分自身と強く約束したわけでもなく、覚悟を決めたわけでもありません。
そこまで自らプレッシャーを自分に与える意味がないと考えたのです。
単純に自分が今生きているのと同じように、朝起きてご飯食べて勉強して働いてお風呂入って寝て、笑ったり怒ったり泣いたりして、自分がやってきたことと同じようにこの子にも生きていく上で必要な過程を教えながら共に歩めばいい。
私にとって「命を守る」とはこのようなことでした。
それだったら、私でもこの子にさせてあげられることができる。
こうして、このような考え方に辿り着いたのです。
とはいえ、19歳。
今なら新生児から育てるという大変さを理解出来ますが、当時の私は情報源がないまま3時間おきの授乳の大変さや、簡単に泣きやますことが出来ない大変さ、そして子育てにかかる費用など、体力・精神力・経済力ともにこれまで味わったことのない体験をするとは知らず、子育ての道へと進むのでした。
つづく・・・
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