妊娠2ヶ月で切迫流産となり緊急入院!治療と費用についての体験談【4人目】

妊娠・出産


    前説
  • 長女は総合病院で出産したお話となります。病室は大部屋でした。
  • 次女・三女・四女は同じ個人病院で出産したお話となります。病室は個室でした。




妊娠発覚〜切迫流産の前兆


妊娠に気づいたのは妊娠3週の頃でした。


家族でお蕎麦屋さんに行って帰る直後に猛烈な気持ち悪さが襲ってきたのです。


その気持ち悪さの違和感に「妊娠」と疑い、直ぐに妊娠検査薬で調べました。


結果、陽性(+)でした。


妊娠発覚から2週間後に病院へいきました。


調べると、胎嚢を確認することができました。


ですが先生に「出血がちらほらあるから気を付けてね」と言われていました。


次の定期検診まで1週間。


その間、これまでの妊娠時同様に普段と変わらずに生活をしていました。


仕事は3児の育休中でしたので仕事はせず、家事と育児をしていました。


時たまお腹が痛くなり悪阻もそれなりにあった方ですが、これまでの妊娠時と比べるといつもの事だし休んでいれば大丈夫だろうという程度で過ごしていました。

切迫流産で緊急入院


前回の定期検診から1週間経過したので小さい子供達2人を長女に任せて病院へ行きました。


病院へ向かう途中で、尿漏れとは違う感覚の漏れを感じました。


嫌な予感がし、病院に到着するとトイレへ向かい確認しました。


すると少量の赤い出血をしていました。


特に激しい腹痛を感じることはなかったので、診察まで待機していました。


順番がきて先生に内診してもらうと「出血してるね」と言われ、エコーで調べると「胎嚢の大きさ以上の出血があるね」とのことでした。


内診が終わり診察室にて緊急入院を告げられました。

妊娠2ヶ月(妊娠6週)での入院生活


切迫流産と告げられたこの時の私のお腹は妊娠2ヶ月(妊娠6週)でした。


一旦自宅に帰り、仕事中の旦那には電話で伝え、自宅で妹達の面倒を見てくれていた長女には口頭で伝えました。


突然の入院なので最低限の荷物を用意し、迎えに来てくれた旦那と一緒に病院に戻りました。





切迫流産の治療について


病院に到着後、旦那は自宅に戻り、私は早速治療が開始されました。


先ずは点滴です。


入院初日から24時間良くなるまで点滴をし続ける日々が続きます。


また、数日間注射を打ち続け、毎食後の内服を続けていきます。


ここまでは治療の一環として理解はしていたものの、想定外の指示をされました。


切迫流産になったら家事育児等は一旦お休みにして横になり、寝ていればいいだけかと安易に思っていましたが、絶対安静として徹底された入院生活の始まりとなりました。



  • トイレは病室内で済ませる。
  • シャワー・入浴禁止。
  • 病室外の出歩き禁止。



これら許可が下りるまでの絶対安静となります。


私が入院した病院は個室なのですが病室内にトイレは備え付けられていませんでした。


病室を出ればトイレはあったのですが、ほんの数歩でも歩いてはいけないということで部屋に簡易トイレを備え付けられました。


まさかの対応に正直驚きましたが、なにもともあれ我が子の為です。


入院生活についての説明が終わると、切迫流産についてネット検索して色々と調べました。



流産とは?

妊娠したにもかかわらず、妊娠の早い時期に赤ちゃんが亡くなってしまうことを流産と言います。定義としては、妊娠22週(赤ちゃんがお母さんのお腹の外では生きていけない週数)より前に妊娠が終わることをすべて「流産」といいます。

切迫流産とはなんですか?

胎児が子宮内に残っており、流産の一歩手前である状態を「切迫流産」と言います。前述の「流産」は妊娠継続不可能ですが、「切迫流産」は妊娠継続できる可能性があります。

妊娠12週までの切迫流産に対して流産予防に有効な薬剤はないといわれています。子宮の中に血液のかたまり(絨毛膜下血腫)がある切迫流産では安静が有効との報告もあります。


出典:公益社団法人 日本産科婦人科学会


『流産』という言葉が一部含まれているだけでも助からない可能性が高いと勝手に思い込んでいましたが、『切迫流産』に関しては妊娠継続できる可能性があるというので少し安心しました。


他のサイトも調べると、助かる確率は70%〜95%と高いようですが正確な統計は分かりかねます。


ですが、少なくとも私は妊娠継続できたうちの1人です。


とはいえ、子宮内に出血があることでいつ赤ちゃんが流れてしまうのか不安さえも感じました。


今私に出来ること・・・「寝る!」


これに限りましたが、結構しんどくって「此処は収容所!?」と思うほどの生活でした。





入院期間中のスケジュール

基本的な1日のスケジュールです。


                       
6:00 起床(歯磨き・洗顔)
 ベッドのうえ
7:00 検温・回診
 ベッドのうえ
8:00 朝食(内服)
 ベッドのうえ
9:00  注射(お尻または肩)・膣用カプセル挿入(ウトロゲスタン)
 ベッドのうえ
10:00  清拭・着替え
 ベッドのうえ
12:00  昼食(内服)
 ベッドのうえ
15:00  病院からおやつ
 ベッドのうえ
18:00  夕食(内服)
 ベッドのうえ
21:00  消灯
 ベッドのうえ

ベッドから降りた時といえば、歯磨き、洗顔、着替え、トイレ、内診の時のみです。


これを退院するまでの16日間毎日同じルーティンをして過ごしていました。


育児から離れた生活を久し振りに思う存分満喫出来るかと思っていましたが、急なおひとりさま時間と病院という環境の中では満喫どころではありませんでした。


ほとんど腹痛や悪阻があったので寝ていることが多かったです。


入院して1週間後に髪の毛を洗ってもいいと許可が下りました。


「やっとシャワーが浴びれる!」と期待したものの介護に使用する簡易的なシャンプー台に寝そべり、ヘルパーさんに洗ってもらいました。


それだけでも十分有り難いひとときでした。


点滴が外れたのは入院から10日後でした。


点滴が外れたことでようやくシャワーの許可が下りました。


簡易シャンプー台で洗髪をしてから4日振りのことでした。


それから順調に出血がなくなりつつあったので退院まで残りわずかでした。


点滴が外れて3日後に退院に向けての内診がありました。


「やっと退院できる!」と期待していたのですが、また出血が増えつつあるので入院延長となり、再度点滴を開始しました。


久し振りに本気のショックを受けました。


(あぁ〜〜早く家に帰りたい・・・)


ですが、出血があっても赤ちゃんは元気に成長しているとのことなのでもうひと踏ん張りでした。


それから3日間点滴をしたのち再度内診をし、翌日の退院許可をいただきました。


退院日が決まり大喜びをしていたのも束の間、魔の請求書を受け取りました。

入院費について


16日間の入院生活でざっくり36万円の支払いとなりました。


一応、入院が決まってから念の為高額療養費制度の手続きをして限度額適用認定証を発行していましたが、自己負担限度額内だったので適応されませんでした。


高額医療費制度は、差額ベッド代・食事療養費・先進医療費は除外されます。


よって把握できている費用については以下の内訳となります。




    公的医療保険適用外




自己負担限度額

¥80,100 +(総医療費 ¥364,300−¥267,000)× 1% = ¥81,073

※所得区分等によって計算法が異なりますので詳しくは全国健康保険協会にてご確認下さい。




自己負担額

総医療費 ¥364,300−¥297,580=¥66,720




よって自己負担限度額 ¥81,073に対して自己負担額 ¥66,720となる為、自己負担限度額内とみなされ高額療養費制度に適応されませんでした。


かなりの出費でしたが、生命保険傷病手当金の手続きをしたことから少なからずの給付金が入金されました。


よって全額負担にならず約10万円の自己負担となりました。




これまで3人の妊娠・出産をしてきましたが、俗にいう『いつなにが起こるか分からない』とはこのことでもありました。


やはり『備えあれば憂いなし』でもあります。



仮に給付金がなくともお金はなんとかすることでなんとかなるものです。


私が入院した病院は個人病院ということもあり、相談すれば後日支払いでも可能でした。

まとめ


初めての切迫流産を経験して、改めて命を授かることは奇跡でもあり、唯一無二だとより深く感じました。


自分ができることは絶対安静でいること。


これが精神的なストレスで、テレビを観るにしても雑誌を読むにしてもスマホ片手にポチポチ弄っても、全てに集中していることはなく、大変窮屈でした。


外の空気を全身で触れて感じることもないままの16日間は私にとって初めての拘束でもありました。


最初の2、3日間は赤ちゃんに対して不安でしたが、とにかく「1日でも早く子供達の元へ帰りたい!」「でもお腹の子もちゃんと守りたい!」と自然と気持ちが切り替わっていました。


ブツブツ文句垂れてても仕方ない、今やれることをやれ!と前向きにやっていくことしか出来ないんですよね。


キチンとご飯を食べて、寝れるときには寝て、薬も忘れず内服し、必要最低限は動かないよう徹底して管理していました。


これらを経て、完全に出血が無くなったわけでもなかったのですが退院の許可をいただき自宅に帰ることができました。


退院後も「安静に!」といわれていたので、ほどほどに家事育児をし、空いてる時間帯は横になって寝ていました。


4人目にして健康的に動く機会が劇的に減り、初めておとなしくしていた妊娠期間でした。


今回切迫流産になった原因は不明です。


自分自身心当たりがあるとすれば、私生活でかなりのストレスを抱えていました。


そのストレスを抱えたまま家事育児をしていたので気付かず身体に負担を掛けていたのかなと思います。


一概にはいえませんが、一般的に切迫流産はストレスも原因の一つにあげられています。


仮に私からアドバイスができるとしたら、旦那さんは居るようで居ないような存在です。


もちろん周りの協力も必要ですが、第一に母体を労わることです。


現在妊娠されている方、または同じく切迫流産されている方は、大きな深呼吸とともにゆっくりと羽を休めてください。



今回4人目にして切迫流産を乗り越え、順調に臨月まですくすくと成長してくれました。


ですが出産時も大変でした。


それでも無事に産まれてきてくれたことに今でも感謝しつつ元気に暮らしています。








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