- 長女は総合病院で出産したお話となります。病室は大部屋でした。
- 次女・三女・四女は同じ個人病院で出産したお話となります。病室は個室でした。
出産前日
出産予定日から2日経過した夜の日のことでした。
早めの就寝をして寝ていたのですが、なんだか違和感を感じて目が覚めました。
腰のあたりに生暖かさを感じて見てみるとシーツがお漏らし状態で濡れていました。
いい歳してお漏らししたのかと不思議に思いつつも、片付けをするために立ち上がると、ビシャッと自分の意思に反して勝手に股から液体が出てきました。
ここでようやく「破水かもしれない…」と疑うようになりました。
ですが、陣痛はなく全くお腹や腰の痛さは感じませんでした。
とにかく一歩を歩くたびに勝手に破水するので本当に困りました。
バスタオルを股に挟みながら動いていましたが、直ぐに1枚が濡れてもう1枚新たに使ったほど量は結構出ていたかと思います。
とりあえず、病院へ連絡して直ぐに病院へ向かいました。
出産当日
病院へ到着した時は既に日をまたぎ 0:00を過ぎていました。
到着後、私は内診にて破水の確認をしました。
その後、浣腸をしてから陣痛がくるまで少し様子見をしていました。
一向に陣痛がくる気配がないまま私はそのまま病室で仮眠をとっていました。
少しお腹の痛さで起きた時は日が差して6:30になっていました。
看護師さんが様子を見にきてNSTと点滴の準備をし始めました。
8:30 朝ご飯を食べ終えると、看護師さんが病室にきて「陣痛が弱いから陣痛促進剤を使いますね。」ということで同意書を受け取りサインをしました。
初めての陣痛促進剤だったので、点滴に投与された途端に緊張が走りました。
ですが、投与されたからといって直ぐに痛みを感じることはありませんでした。
促進剤をしてから2時間後には分かりやすい痛みが増してきましたが、まだ我慢できる程度でした。
例えると、お腹を下した時と同じような感覚です。
それからお昼ご飯の時間となった12:00。
じっとすることすら出来ないほどの痛さとなり、お昼ご飯を食べられる状況ではありませんでした。
時たま看護師さんが様子を見にくるので現状報告をしますが、まだ病室で待機ということでそのまま痛みに耐え続けていました。
それから約2時間程経過した時にようやく分娩室へ案内されました。
とにかく、第一子で体験した陣痛の痛さ以上の痛さを感じていました。
分娩台に寝そべっても仰向けの状態ではいられず、何度も寝返りを繰り返しては何度もうずくまっていました。
促進剤を投与して6時間は経過した14:30、子宮口が全開になりにくい状態が続いていました。
すると、第一子でも訪れた吐き気が再来してきたのです。
陣痛の痛さに加えての吐き気はかなりの地獄でした。
顔の横に小さな桶を用意してもらって陣痛の痛さに耐えては、桶に顔を埋めて吐き気を1時間
ばかり繰り返していました。
すると先生からやっと待ちに待った指示が発動されました。
「次の陣痛がきたらいきんでいいよ!」とのお言葉です。
とはいえ、陣痛の痛さと吐き気でほぼ体力が残っていない私は、陣痛がくる約1分間は意識がもうろうとしていました。
今でも覚えていますが、陣痛の痛みが去ると心地の良い眠気が襲ってきていました。
例えると、お布団の中で温もりを感じながら眠気に襲われる心地良さでした。
勝手な憶測ですが、もしかしたら我が身を失う寸前というのはこんな感じなのかな?と思ったくらいの初めての感覚でした。
旦那も立ち会っていたのですが、後に旦那から話を聞くと「声をかけても応答しないから意識失っていたよ。」と言っていました。
ですが当の本人である私は、意識が失っている感覚は全くなく、陣痛がきてない間は休んでいただけで陣痛がくれば痛みと同時にいきんでいたのは覚えているので、なんともいえない不思議な時間でもありました。
何度いきんでもなかなか出てこない赤ちゃん。
すると足元に四角いBOX型の大きな機械が準備されてなにやら操作し出す助産師さん。
そして、スッポンタイプの吸引器具が先生の手に渡りました。
様子を伺っていると先生から「吸引しますね。」と吸引分娩に移る報告を受けました。
陣痛がきて私のいきみと同時に先生は赤ちゃんを吸引して引っ張り出す。
これを数回繰り返しました。
赤ちゃんが外に出てくる感覚と同時に第一子では感じたことがなかった、ギュウギュウさの出具合を感じていました。
誕生してから分かったのですが、第一子と比べると体重が+450gで3kg超えの赤ちゃんだったので出てくる時にギュウギュウに感じていたのはコレが原因だったんだなぁと思いました。
産声を聞いて一安心し、分娩台の上でリラックスしているとタオルケットに包まれた赤ちゃんが私の横にやってきました。
10年越しでも明らかに見てわかるくらいの大きめな赤ちゃんにビックリしました。
そして、直ぐに頭の形が変なことに気付きましたが、それを察してか看護師さんが「大丈夫ですよ。頭の形は自然と治ってきますから。」と言われましたが、そんなことよりも無事に生まれてきてくれたことに感謝感謝でした。
10年越しの出産。
10年越しでも、生まれる前は初産のように何十時間も陣痛と葛藤するかもしれないと覚悟していましたが、陣痛促進剤を投与して痛みから誕生まで掛かった時間は7時間45分。
安産という定義は医学的にあるわけでもないのですが、このようなお産でも「安産だった」と言える出産の一つなのです。
とはいえ、出産はどのお母さんも赤ちゃんも母子共に死に物狂いでお産に挑んでいる過程があります。
そして無事に産まれてきた場合は「安産」という言葉の意味を持ちます。
「安産」か「難産」かは、個々のお母さんの価値観であり、医師一人ひとりの経験に伴った価値観で定義づけられるのかもしれませんね。
今回私は体力の限界を通りすぎて意識がもうろうとしていましたが、そんな私を見兼ねてか、先生は最善の方法で最悪な状況を回避するための技である吸引分娩を使ったともいえます。
お陰で私は1分1秒でも早く産むことが出来たんだと思います。
いざお産に入ると生きるか死ぬかの戦いでもあります。
そんな状況の中で残念ながら自分は痛みに苦しむだけで状況に対して最善な状態にコントロールすることは出来ません。
それこそ先生方の指示に従う以外方法はありません。
だからこそ、共に戦い、無事に母子共に生かしてくれた先生、助産師さん、看護師さんには感謝でしかありません。
改めて、生きるという意味を再確認した10年越しの出産でもありました。
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