我が家は、4姉妹の子供達がいます。
川崎病になったのは当時1歳になったばかりの次女でした。
正直自分の子供が川崎病を発症するまでは川崎病という病気の名前はなんとなく知っていても詳細については全くの無知でした。
今回は、実体験に基づいて娘が川崎病になった時のお話をさせていただきます。
最初は川崎病とは疑わず…
当時共働きをしていたので娘は保育園に通っていました。
ある日園からの連絡で熱があるからということで迎えに行き、そのまま病院へ連れて行きました。
症状が38度の熱と鼻水だけだったので風邪と診断されました。
薬を処方してもらい翌日の3日間は自宅で様子を見ていました。
とにかく機嫌が悪く泣いている事が多かったです。
食事に関しては一口二口食べてくれれば良い方で、ほとんど拒んでいました。
ですが、唯一好きなお菓子は積極的に食べていました。
あとはフォローアップミルクで補っていました。
熱が38.5度以上超えている時は時間の間隔を守りつつ毎回座薬をしていました。
ですが、座薬をしても39度から38度をいったりきたりで下がる気配もないまま4日目を迎えました。
発症した川崎病の特徴的な症状
4日目にして薬がなくなるので病院へ連れて行くため一度着替えをさせると、お腹を中心に発疹が発症していたのです。
明らかにおかしいと疑い病院へ連れて行き、先生に発疹のことを伝えると真っ先にBCGの跡を確認してました。
私も一緒に確認すると明らかにBCGの点々とした跡が赤く膨れ上がっていました。
(何これ?BCGのせい?)と思っていたら先生から「川崎病の疑いがあります。」と診断されました。
その病名を聞いた瞬間何が何だかよく分からず一瞬動揺してしまいました。
ですが、直ぐに気持ちを切り替えてこの子が早く元気になる為にも耳を大にして心を落ち着かせ先生の話を聞く大勢に入っていました。
そして続けて先生は言いました。
「川崎病は小さな子供に発症することが多く、身体の血管に炎症を起こしてしまいます。心臓の血管に瘤ができて血が詰まると心筋梗塞になる可能性もあります。」
(心筋梗塞!?やばいじゃん!)
『原因はなんですか?』
「原因は未だに分からないんですよ。」
「でもお母さん大丈夫ですよ。治る病気です。でも入院は必要です。これから大きな病院に連絡して確認を取るので待合室で待ってて下さい。」
と言われ待合室に戻るとすぐさま旦那にメールし、ネット検索にて川崎病を調べていました。
ざっくりですが、以下のようなことを収集していました。
川崎病とは?
- 1967年、小児科の川崎富作先生が最初にこの病気を報告する。
- この病気の最初の報告者、川崎富作先生の名前をとり「川崎病」という病名になる。
- 川崎病を発症してしまう原因は不明。
- 4歳以下の子供に多い。
- 合併症になると狭心症や心筋梗塞を起こす危険性がある。
症状は?
- 38度以上の熱が5日間以上続く。
- 全身に発疹がでる。
- BCGの部分が赤く腫れる。
- 目が充血する。
- 舌がいちごのように赤く腫れてぶつぶつになる。(いちご舌)
- 唇の乾燥や出血。
- 手足が腫れたように膨らみ皮が剥ける。
- リンパ節の腫れ。
気付けば診察室に呼ばれるまでの間に色々なサイトを読みあさっては娘に当てはまる症状を確認していました。
診察室に呼ばれると入院先の病院について説明を受けました。
入院先の病院について説明が終わると会計を済ませ、自宅へ帰り、入院の準備をしながら旦那と電話して詳しく報告をしました。
緊急入院
入院先の病院に着くと、病棟に案内されて旦那と合流しました。
4人の先生が病室に訪れると今後の治療やスケジュールについて説明を受け、のちに看護師さんから病院内の決まり等についての説明を受けました。
先ず、入院した病院は24時間保護者(大人)が付き添いをしなくてはいけないとのことでした。
共働きをしている私たちはそれぞれの親に平日の日中だけ娘の付き添いをしてもらい、夜は私たち夫婦交代で娘の付き添いをしていました。
朝になると親とバトンタッチして病院からそのまま職場に通っていました。
治療については、免疫グロブリン療法という点滴とアスピリンという内服をおこなっていきます。
治療の説明を一通り聞き終わると同意のサインを求められました。
この治療方針で行うという内容だったり、投与する薬の詳細についての内容、また追加投与したい時に保護者が病院に居なくても事前に同意書にサインした上であとは電話のやり取りで済むための同意書だったりといくつかの同意書にサインをしました。
入院期間は、1〜2週間を目安としていました。
入院生活の記録
発熱から4日目にして緊急入院。
入院先の主治医から病気についての説明と治療について説明を受ける。
同意書にサインをする。
子供の腕に点滴をするための針を通して包帯とネットで固定される。
熱は38度台。
相変わらず子供の機嫌が悪い。
私と旦那は仕事だったため電話にて前日に同意した治療について開始したいという報告を受け承諾する。
熱は38度台。
朝になるとだいぶ発疹が消えていた。
点滴の管が外される。
熱は38度台。
点滴針が外れて元の状態に戻る。
熱は38度台。
唇がカサカサして皮がめくれ赤く腫れていた。
夕方頃に2回目の免疫グロブリン療法をするため再び点滴をする。
熱は37度〜38度台。
早朝に鼻血を出す。
一部の手足の指先の皮がめくれる。
点滴の管が外される。
熱が37度台。
赤く腫れていたBCGの跡のがかさぶたとなり剥がれ始めてくる。
平熱に戻る。
唇の皮はまだ完治していない。
点滴針が外れたので入院して以来の初めてのお風呂に入る。
翌日退院できると報告を受ける。
退院。
退院時まだ唇と手足の皮は完治していませんでしたが、無事退院ができて心から良かったと、神様、先生、看護師さん、そして我が子に感謝でしかありませんでした。
一方、当時中1の長女は年齢制限によって病室に入室するのが禁止されていたのでこの期間会うことも話すことも出来ずにいた為、再会した瞬間はとても喜び、隠れて涙していました。
退院後の生活
退院後の生活はこれまで通りの生活で問題ないとのことなのでいつも通り過ごしました。
ですが、回復をしたとはいえ後遺症がなくても定期的に異常がないか検査をします。
最初は、退院後から1週間経過した時に定期検査をしに病院へ行きました。
心電図と心臓超音波検査で細かく調べます。
このような定期検査を1ヶ月後、3ヶ月後、6ヶ月後と行い、1年経つと年に1回のペースで定期検査を行います。
娘の定期検査が終わる予定は小学校にあがる頃です。
基本的に発症してから5年をめどに定期検査を行います。
それ以降は、再発する可能性が低いため定期検査は必要ないという判断となります。
そして今
川崎病を発症してから3年が経ちましたが毎日元気にニコニコと過ごしています。
私の知り合いの子も川崎病になっていましたが同じく元気に過ごしています。
コロナ禍となり、一時コロナと川崎病に関連性があるとかないとかの話がありましたが、いずれにしても原因は不明のままです。
(※日本川崎病学会のHPにてコロナと川崎病の関連について2020年5月7日付でお知らせがありますので「日本川崎病学会声明:川崎病と COVID-19 に関する報道について」をご確認ください。)
今もどこかで川崎病を発症している子供達がいるかと思います。
親としては、小さな身体で必死に戦っている我が子の姿がとても心苦しい日々でもあります。
痛みや苦しみを理解することができない川崎病。
見守ることしかできませんが側にいてあげるだけでもとてつもなく強い薬剤投与だと思います。
1日でも早く川崎病の原因が判明し、川崎病にならない環境となり、子供達が苦しい思いをしませんように・・
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